デリダ案内

ジャック・デリダについての僕なりの紹介、というか邦訳されている著作で、これがとっつきやすいとかこれは面白かったとかいう与太話である。デリダはアホほど著作が多く、邦訳もいっぱいあるので、どれを手に取っていいか分からない向きもあると思う。 はじ…

私とラテンアメリカ文学

ツイートしようと思ったけど長くなるのでやめた。 「私とラテンアメリカ文学」といっても、僕はたかだか3年、4年くらいしか読んでいないし、まだ読んでいない無数に近い作家の作品を残している。それは幸せなことだ。僕のラテンアメリカ文学との出会いはバル…

想像力を掻きたてる時1(小説)

想像力を掻きたてる時 1 出発点としてSはハンバーガーショップの座席に座っていた。それほど人は多くない。時刻は夜八時を回ったあたりだろうか。Sは一人で四人分の座席を陣取り(それだけの人数的余裕はあったからそのことでSに対する非難の言われはな…

ミクロ政治学的探求(3)——奴隷の時代(続)

前回(2)の記事↓ hh26018823.hatenablog.com ■ニーチェの批判 ニーチェは「奴隷」という存在に対してまったく「同情」をしない。ニーチェにとって同情心は唾棄すべきものであるのだが、その論点は省くとしても、ニーチェは奴隷存在をすさまじく批判する。…

ミクロ政治学的探求(2)——奴隷の時代

(1)の記事は以下 hh26018823.hatenablog.com ミクロ政治学的探求(2) ■資本主義とオートポイエーシス 現代は奴隷の時代である、ということを命題として検証してみたい。現代は奴隷である、と言うとき、それは人間みなが奴隷に「成り下がっている」とい…

新現代思想入門(1)——2000年代の西洋思想

「現代思想」。その言葉は、基本的には1950~1999年あたりのフランス現代思想を中心的には指す。構造主義の「4人組」、レヴィ=ストロース、ラカン、フーコー、ロラン・バルト。ポスト構造主義の三人組、デリダ・ドゥルーズ・(フーコー)、現象学のミシェ…

ニーチェ『曙光』から考える(1)

ニーチェのアフォリズム形式の文章が連なる『曙光』はニーチェの中期の作品である。この前に、『人間的な、あまりに人間的な』という2巻にわたる長大なアフォリズムの書物を出版しているのだが、生前で刊行されたニーチェの本の中でも『人間的な』は一番評…

文学の危機——日本の言説状況について

■はじめに総括 下の欄では、思想界隈、批評界隈、文学界隈で出てくる著名人の名前で僕が関心がある人の状況を個人的に連ねているのだが、まぁみんなどっこいどっこい。特に現代思想は今オモシロクなっているので、これからも需要がある限りは本屋にも配架さ…

ミクロ政治学的探求1

■ガタリとジジェクの政治学 ——フェリックス・ガタリの思考の一つに、「ミクロ政治学」という概念がある。これはいっけん掴みにくい言い方だが、通常の「政治学」、政治現象や議会政治や政治システムといったものから国際関係までを学的に探求する通常の政治…

マルクス主義と『芽むしり仔撃ち』

先日、複数人でTwitterキャス上で大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』の読書会をやったことで、かの作品に対する愛着のようなものがさらに増したのだが、それにつけて思うことがあるのでブログに書いてみる。 芽むしり仔撃ち (新潮文庫) 作者: 大江健三郎 出版社…

カフカについて(第二回)

承前 ■『審判』、そして『城』と彷徨 ブランショは『城』に高い評価を示している。それも、『審判』との対比においてである。それは『審判』が一応の終着点=結末を迎えたことによるのだろうか? ブランショの援用を先送りにして、カフカ読解の研究の中でし…

カフカについて(連載予定)

カフカについて(長期連載予定) misty 1 彷徨と外部性 ■彷徨 カフカについてまとわりつく思考とも呼べないただの想念のまき散らしにかなうものと言ったら頭痛くらいのものである。カフカにはまるとなかなかそれから抜け出せない。 先日、モーリス・ブラン…

僕の英語の学習方法

こんばんは。今回は僕の英語勉強のやり方を簡単に紹介出来たらいいなと思います。 僕は、TOIECの平均スコアが600点です。700点越えを目指して勉強していた時もあったのですがままならず…… しかし、英語の学習法についての本もたくさんありますし、最近は意識…

お知らせと詩二つ

最近書いた詩を二つ載せます。 10月になりましたね。今月中に詩集本を出そうと思います。本の形は決まっているんですが、BASEとかで売りたいんですけどもうちょっとだけ時間がかかりそうです。 表紙はTwitterでお世話になっているらぱんさんに描いて頂きま…