ニーチェ『曙光』から考える(1)

ニーチェアフォリズム形式の文章が連なる『曙光』はニーチェの中期の作品である。この前に、『人間的な、あまりに人間的な』という2巻にわたる長大なアフォリズムの書物を出版しているのだが、生前で刊行されたニーチェの本の中でも『人間的な』は一番評価に乏しかったらしい(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』の訳者解説より)。ニーチェの度重なる頭痛や不調はおさまらない。そんな中でかきはじめたのが『曙光』であるが、基本的には『人間的な、あまりに人間的な』に見られるような、様々な事象や物事の価値観について鋭い批判を美しい文章で連ねている。

 その『曙光』の中から目にとまった二つのパッセージを取り出して、思考してみたい。

164 ……逸れた人々は独創的で生産的な人々であることが多いが、もはや犠牲にされてはならない。行為や思想において道徳から逸れることは、もはや決して不名誉なこととされてはならない。人生と社会との無数の新しい実験がなされなければならない。良心の疚しさという巨大な重荷は抹殺されなければならない。……

ニーチェ『曙光』(訳者芽野良男、ちくま学芸文庫、pp191-2)より

 この文章においてまず注目となるのは「逸れた人々」という表現である。以前、僕のブログで書いたことがあるのだが(※1)、僕は世の中や社会の「中心」から外れていく周縁や辺境に(という空間的な概念で表すことのできる、ということなのだが)位置する人の運動を「外れていく」と形容した。ニーチェが書きつけた「逸れた人々」というのも、おそらく、常識や社会のいろんな秩序やルールを疑問視し、そこから距離を取っていく人のこと、とひとまず考えることができる。それで、そういう逸れていく人たちは、しばしば「独創的で生産的な」活動をするのだ。個人的には、ニーチェマルクス的な概念にも聞こえる「生産」という言葉を使っているのがおもしろいと思う。

 例えばである。通常の社会の中で、中心的で上位階層の労働市場といえば、巨大企業やそこに勤めるエリートサラリーマンの人たちなどである。ニーチェは文献学という太それた仕事を様々な大学で専門とし、通ってくる生徒たちに教えていたが、「大学で教える」というのも、立派な生産活動であり、中心的であるとも言える。ニーチェは生き延びていくためにこの文献学を教えていたのだろう。彼の本当の独創的な活動は全て思索と執筆活動にあったのだから。

 ニーチェもまた自分のことを「逸れた」人間であると考えていたのだろう。

次の一文が特に重要である。

 

「行為や思想において道徳から逸れることは、もはや決して不名誉なこととされてはならない。」

 ニーチェはよく知られるように『道徳の系譜』や『善悪の彼岸』などの書物を通して、いやそもそも『人間的な』からはじまるアフォリズムの書物の時から、《道徳》というものの糾弾を攻撃的なまでに行っている。僕たち日本人の小学校教育においても「道徳の時間」というものがあるのだが、そもそも何故ニーチェは《道徳》をその思索の体系として一貫して批判したのだろうか?

 

 道徳は、まず間違いなく社会的なものである。それは、社会に影響と作用をもたらすという意味合いである。道徳を(「道徳の授業」などによっていちおう学んだりすることで)個々人がインプットする/させられることで、人は常識的な行動を社会の中ですることができる。おそらく、道徳は「常識的な人間像」を作り上げるのに最も貢献しているのだ。

ニーチェは何よりもこの「常識的な人間」という価値観に唾を吐きかけたいのだろう。それは、人間のあるべき姿の、本当につまらない画一化でしかない。道徳は、画一化された人間と社会を要請する。画一化された社会のことを「よく管理された社会」と呼んでみよう。このよく管理された社会においては、人間は「逸脱した」「逸れた」行動をより取りにくくなる。自分自身の道徳観念や、他者からの道徳的説教がそれを抑え込めるのである。 しかし、ニーチェは引用文において、「逸れた人(々)は独創的で生産的なひとのことである」とはっきり述べていた。真の独創性と生産性は「逸れた人間」のほうにある。だとすれば、よく管理された社会は、逸れた人間をいとも簡単に圧し潰してしまうに違いない。

 

 ニーチェは、「行為や思想において道徳から逸れることは、決して不名誉としてはならない」と断言する。善悪の概念と、道徳観は、逸れた考えと逸れた人に対して「不名誉」の価値観を強制する。いわゆるレッテル貼りだ。これによって「逸れる人間」は社会から疎外される。この我慢ならない社会をこそ、ニーチェは警笛を鳴らしているのだ。

 

 二つの引用をすると言ったが、少々長くなったので、また次の記事で二つ目の引用からはじめることにします。

misty

 

 

 

 

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※1 ……ブログ「書も積もりし第一期」の

misty882311.hatenablog.com

という記事を参照していただきたい。