経済=力について 覚書き

 

経済力とは人口に膾炙した物言いだが、要するにability、能力のことだろう。生活資金を稼ぐ人としての(求められる)能力。あるいはその力能、適正。

Power of Economyという意味での"経済力"があってもいいのではないだろうかなどと思う(まァ普通にあるんだろうな)。つまり、POWER=力、とくに権力としてのpowerである。

権力としての経済。これもたしかに凡庸な物言いである。経済が、お金がいろんなものやコトを決定するようになって、支配するようになって久しい。

思うのは、経済がただひとつの特「権」的な、いや「権威」として、政治やお茶の間の世間やメディア社会や芸術や科学分野他すべての領域を支配しようとする、多大な影響力を与えるこの社会構造も、何年もかけて作り上げてきた強固なシステムなのだろうと思う。アルチュセールなんかを読むと特にそう思う(読み切ったことないけど)。

 そういうことは柄谷行人を読んできて学んだ。今の超資本主義時代は、なるべくしてそうなったのだと。

 

 そういえば、ニクラス・ルーマン社会学は、経済というカテゴリ(ジャンル)を特別視せず、政治、経済、法、科学、芸術、そして全体としての社会、それから宗教、全ての社会構造としての理論を各論的にも、それから総論的にも打ち立てた巨人である。彼の著作はとても難しい。しかし、その統一した視座の巨大さには驚き呆れ果てるほどである。ルーマンが、現代社会を診断したら、どのように言うであろうか。ルーマンも久しぶりに読んでみたい。今僕はドゥルケームの『自殺論』を再読して社会学のなんたるかを久しぶりに味わいたいと考えている。