心のリハビリテーション

心のリハビリテーション——まずは2015-19の記憶健忘

 

五年間ほどのことをうまく思い出せない。具体的には2010年代の後半。

自分のリハビリとして、どうもうまく思い出せないとある過去五年間のことを少しでもいいから自分で思い出してみる、ということを、あくまで自分(僕)のリハビリのためにやってみたい。

僕は平成一年生まれなので、平成時代は自分の年齢が分かりやすかった。というか、歳を経るにつれて、昔は自分の年齢をよくあそこまで嬉々として強く記憶していたものだなあと思う。さて、平成は実質三十年で幕を閉じたようなものである。2019年、平成三十一年、そして唐突にこの年の皐月に令和が始まったのだった。それは僕が30の年だったのだろう。そのこと自体は今確認しても間違いないのだが、どうもこの期間、僕が二十六歳から三十歳になるまでの二十代後半のことをうまく思い出すことができない。僕には記憶力が抜群にいい恋人がいて、「え、misty、そんなことも忘れたの?」と言われることがしょっちゅうある。忘れたのだろうか? うまく思い出せないだけなのか……はやいが話、この五年間の間、まったくおもしろくないことがたくさんあった。その中でも特大の毒系イベントを挙げろと言われたら、あれとあれだ(なんだそれは)。これらを避けて書きたいものだが……。

 はっきり言える。まったくうだつのあがらなかった五年間だったと! ところで「うだつ」とは建築材料を指す用語らしいのだが、出世しない、地位が上がらないことをいう。僕は2015-9年の間、まったくもって地位役職どころか立ち位置さえ何の変化もなかった。スティル・ゼア。それは思い返せば全部僕の至らぬ未来予想書の杜撰ゆえであった。だがたらればをいったって何にもならない。

 「小説家になってやる」という野望は抱いていた。しかしそれなら、まず有名な小説講座とか、スクールに入って、小説執筆の最低限のいろはを学んでおけばよかったのだ。少なくともそういう選択肢を少しは真剣に考えるべきだった。なんなら今通いたいくらいだ。しかしもうそんな金の余裕はどこにもない。自分が本気でなりたいと真実の気持ちで願ったのなら、親の脛にもう一度すがりついてでも、「一か月でもいいから文芸スクールみたいなとこに通わせて!お願いだよ!」と叫べばよかった(言えば言うほど虚しいが……)。

 僕が本気で小説家になりたいなぁと思うようになったのは、2014年のとき。この年はあまりにも濃い一年間だった。ハチャメチャな一年だったとおもう。

 前置きが長くなったが、「プロの小説家を目指そう、文学界新人賞とか、ゆくゆくは芥川賞候補にもなる、そんな小説を書けるようになろう」という思いは、その次の年の始まりでも強く持っていた。

 少人数の気心の知れたネット友人を誘って、オンライン文芸部的なものを作ってみた。これは最初のうちはほんとうにうまくいっていたように思えたし、実際楽しかった……というのは、そういうサークル的集いなり、切磋琢磨しようと呼びかけ合った友人(くれぐれも、ネットで知り合ったことからスタートする類の仲である)の存在を己の周囲に感じることはとっても大事だからだ。仲間や好敵手がいる。そう思えること自体がひとつの大きな安心毛布だ。しかし、この塩梅、群れたりお互いピリピリしたりすると変な風に事態がこんがらがっていくのだが。

 僕はとりもなおさず小説と呼べるか呼べないかギリギリのラインのものを、とにかく書き続けた。ここでは結論を先取りして、2015-19年の五年間の間に生まれた作品は、

 

新人賞に出せそうな枚数(中篇・長篇)の作品 2つ

自信のある短編 3つ

その他自信のない短編が10~20個ほど、他、多数の詩、ショートショート、エッセイ、ガラクタの類(磨いてもなんににもならなそうな電子的生ごみ……)

 

これではだいぶキビシイ。五年間の成果がこれである。。

 比較するのも酷だが、二十代の大江健三郎の五年間は、それはもうそうとうすごい仕事量である。長篇だけでも毎年一つか下手したら二つは出してるし、優れた短編集も、中篇集(『性的人間』とか)もいくつも出している。その他、随筆、書評、対談、講演会、読書、音楽、お酒(悪しからず)、人付き合いに家族づきあい、もとより生活……やっぱり比較なんかするんじゃなかった。大江は人間ではないのだ。大江は人間じゃなくて、はるか遠くの文学星からやってきた代表者の一人・スーパー文学サイヤ人なのだ。

 

 大江でなくとも、売れっ子作家は毎年一年に一冊以上の長篇を出しているという気もする。間隔があいても、二年に一冊だ(これとは関係ないが、だから僕は朝吹真理子の沈黙の長さがいっときとても寂しかった)。一年間に、ひとつの長篇、ひとつの短編集、ひとつのエッセイ本、たまに対談集、たまにルポとかその他の類の本。これくらいの仕事量を一切手ぬかることなくやってきた人々の行為の集積が、すなわち戦後日本文学の歴史だ(三島由紀夫辻邦生のそれはさらに異常だが……)。戦後作家はとにかく書いて出版した。僕の書くデタラメな小説やエッセイが、まさか日本文学に通じるだろうことなんてことは現時点でこれっぽっちも思っていない。思っていないし、仮にこちらがそうありたいと思っても、そもそもこればかりは僕が決めることではないからだ。

 保坂和志の『考えあぐねている人のための小説入門』という本では、とにかくデビュー作に100%、いや120%の力を注げ!とあった。僕はこの『考えあぐねている人のための小説入門』に今でもけっこうインスパイアされている(最初は衝撃的でなかなか受け付けなかったけど、とてもいい本である)。プロの小説家になることは何より大事だ。文書書いてメシが食っていけるなんて、かっこよすぎる。だけど保坂が言ってるのは、プロ作家になれとかいうことではなく、小島信夫大江健三郎といった文学史に間違いなく名を遺し続けるような作家になるためにはどうすればいいか?というビジョンだと思う。「プロ作家になるためには」のさらに十段飛びのようなキビしさだ。でも僕も夢を見るくらいはいいだろうと思った。それにどのみち、デビュー作、つまり文学界新人賞群像新人賞文藝賞新潮新人賞、すばる新人賞これら五つの登竜門に作品を昇らせてみたいと思うのなら、「今の自分」がもてる情熱、技巧、頭脳、感性、体力あらゆるエレメントをブーストさせるほかはない。

いつか僕にもデビュー作を完成させられる時がくるだろうか。スタートから全力。それでやっと入り口に入れるのである。カフカの門はいつかは開かれるのだ。

まぁそれはよい。深夜に書き始めたから筆が少々荒ぶっている。とにかく五年間の総計は惨々たるものだ。そしてそれを昏くさせたのは、やっぱり仕事と日常生活のどうにもこうにもうまくいかない、年月とともに徐々に下降していく停滞した日々の重たさである。

 仕事が続かなかった。いったいいくつのアルバイトに応募したんだろうか? お金に困っては何か始めるものの、一か月と続かない。先生によると、これを繰り返ししすぎたため、デメリットの大きい失敗体験の積み重ねにしかならず、トラウマが形成されていく。ある日、本当にやる気というものそのもの、立ち向かうエネルギーがなくなった。こんな事態に至るのも、自分ではうすうす分かっていたのかもしれない。本気で考えずに日雇いややりたくもない仕事を探しては続かず、けっきょく辞めるという一連の流れを繰り返す先には、虚無と疲弊と消尽だけが待っていると。

なんにもうまくいかないなと立ち止まってしまったのが2019年だったと思う。僕はちょうど30歳になっていた。三十代に入ったという重みもここに加わって余計に生活が爛れたものになってきた。体調も悪くなり始め、19年の途中から2020年にかけて仕事も探さずまるっきりのニート生活を貪ることになってしまった。

 小説はなかなか完成させられない。地元に出戻っていらい実家に住んでいたので、両親との軋轢も中々に堪えた。きっと何をやっても面白くなかったんだと思う。その場しのぎの現実逃避ばかり。唯一の慰めは読書とスポーツ観戦。ネット。我ながらよくやっていたものだと思う。断片的な思い出はあるのだが、もうあの頃の虚心的な精神生活を思い浮かべることはできそうもない。悪夢の日々というのには少し遠い。締まりの悪い、どうにもこうにも精彩の乏しい日々が多かったからだ。

 

ここまで書いて思ったが、2017年や2018年といった妖しげな膜を張った記憶健忘に覆われた期間のことを思い出すのはやはりとても困難だ。思い出してつらいことも多少あるだろうし、どこまで頭の中で記憶を再構成すればいいのかどうかも分からない。

だが、焦らないことだ。自分の(長かった(そして今でも?))暗黒時代を見つめる。これはまず何よりも僕のための治療、リハビリテーションだ。書くことは安らぎをもたらす。

 

 

ある男の手記2

 

 僕は激情的な音楽にどうしても惹かれてしまう。ベートーヴェンなども勿論大好きだけど、激情的というのは、静と動の振れが極端だということだ。それはどういうことかというと、静が要請される場面において完璧に〈静〉を演出すること、反対に動が要請される場面においてダイナミズムを完成しつくしていることである。激情的な音楽は、二つの様相を同時に有する。それは矛盾を抱えるということである。僕は矛盾というやつがたまらなく好きだ。矛盾によって答えが決定不能に陥るからではない(ある種の相対主義が行き着くニヒリズムの態度のような)。矛盾は二つのことを重ね合わせることなく美しくやってのけることだ。一方を愛し、片一方も汲み尽くす。単純な話だ。1よりも2の方が多いのだから。さらには1+2=3というわけだ。これは欲しがりの性格ゆえかもしれない。それだけでもなさそうだが。

 同時に、矛盾を愛することはこのうえなく難しいことでもある。論理の世界、合理性や常識の世界では、矛盾は忌み嫌われる。まるで前カント的な世界だ、しかしそれはそのまま現代の社会の姿でもある。矛盾を愛すること、双方を行き来する激情的な音楽を愛することは、論理の世界を否定し、あるべき理想の姿を永遠に追い続けることを宿命づけられた悲劇にして喜劇の滑稽な主人公であるのかもしれない。

 

Twitterに1000字でも書けようものなら……ある男の手記23/5/23

 

 

 なんというか。僕はもう没落していくのだろう。俺はと言いたくなる。俺はこのまま没落していくのだ。金銭的な没落といわず、肉体的な没落といわず、とりもなおさず人間の形態として没落するのだ。否-人間への降下だ。俺は灰になるのだ! 煙草をふかす人間の側じゃない、少しずつちぢれていく葉巻の方でもない、僕はその腐乱臭の漂う葉巻の残骸だ。燃え滓にすぎないのだ。煙草を口元から落とした人間が足元でクシャッと踏みつけて去っていった。俺は雨の滴る冷えたコールタール道路の上で、今もうずくまっている。

 否-人間とはよく出たものだ。非人間ではない。否人間、人間の強き〈否定〉。アンチ・ヒューマン。そういったものだ。ペテンになるしかない。僕は、そういった僕を馬鹿にする者たちのことを笑い飛ばすことしかできないのか。それこそは本当の狂人というものではないか。そこでこそ僕はひとかどの存在になれるのだろうか、はたまた? この手記はとてもシンプルで、要するに僕はもう自分の限界を見極めたということだ。自分を見極めるのにもいくばかの修練と魂胆がいるということだ。三十という年齢においてやっと。遅い。もう己に期待はできない、これっぽちも。俺は下落していく。どこまでも落ちていく。没落-大衆。アバヨ、世間。

 

Coldplayの実存主義――前期論

 

Coldplay実存主義

 

■ものいわさぬ彼ら

 

 Coldplay(以下、コールドプレイと表記するときもある)は2020年になっても現代のUKロックを代表するビッグ・バンドである。

その始まり、デビューアルバム『Parachutes』は2000年にリリースされた。2000年というのは現代社会の時代区分にとっても一つのターニングポイントである。とりわけ音楽では90年代ロック(僕が愛してやまない領域でもあるのだが……)と00年代のロックのシーンの違いを考えるときに参考になる。

 

パラシューツ

パラシューツ

 

 

 

Kid A [国内盤 / 解説・日本語歌詞付] (XLCDJP782)

Kid A [国内盤 / 解説・日本語歌詞付] (XLCDJP782)

 

 

 というのは、2000年には一つの記念碑的アルバム、Radiohead(以下、レディオヘッドと表記するときがある)の『KID A』が発表されたからである。『KID A』は前の作の『OK Computer』と共にポストロックの核心を体現した、非常にインフルエンスの強いアルバムである(Radioheadについてはまた別記事で述べてみたい)。早いが話、その頃多くのバンドに絶大な影響を与えてしまっていたレディオヘッドだが、コールドプレイにもその影を落としていた。OK Computer、KID Aともに、「静寂主義」「都会的冷淡さ」とでも言えるほど、冷たい氷がカチコチ鳴っているかのような印象を受けるクールな音を創造しているのだが、コールドプレイの『パラシューツ』もその要素を受け継いでいる。

 正直、『パラシューツ』は何曲かをのぞけば印象が薄い作品ではある。おそらく、テンポが緩い曲が多すぎる。眠ってしまいそうになるのだ。もちろん「Shiver」「Yellow」といった今でもプレイされている往年の名曲はある。浮遊感のあるギターが耳に心地よいYellowなどのように、ファーストアルバムながらかなり音は完成されており、それが彼らがデビュー作にして圧倒的な支持を得ることになった。

 

 最近、僕はUKから発信されているウルフ・アリスやペール・ウェーブズ、THE 1975、もうちょっと遡ってカサビアンなどを聴いているが、それぞれ微妙にタイプが違うにせよ、彼らのファーストアルバムはみな出来がいい。僕がこの記事において主張したいのは次からである。つまり、可能性に満ちたバンドは素晴らしいファーストアルバムを出す。問題はセカンド以降からなのだ。そして、今あげたウルフ・アリスやTHE 1975などのいずれも、未だにColdplayを超えることは遠いであろうと思う。なぜなら、Coldplayはセカンド以降もずっと化け物のように毎回シフトチェンジしながらアルバムの完成度を高めているからだ。

 今回はそのことの証左として、(A)2枚目『A Rush Of Blood To The Head』、(B)3枚目『X&Y』といった比較的"前期"の作品を簡単に取り上げて、(B)4枚目『Viva La Vida』で彼らの音楽がある意味最高結晶として結実したという僕の見方を述べたい。

 

 

Radioheadの呪縛

 

2002年にリリースされたColdplayの2ndアルバム、『A Rush Of Blood to the Head』はそらもう売れた。売れに売れたのである。コールドプレイは社会的認知度を得た。しかし、結論から言うと、Radioheadの呪縛からは逃れきれない部分があるように思われる。それはこの2ndアルバムが、実に優れたポスト・ロックアルバムだからである。

 

A Rush of Blood to the Head

A Rush of Blood to the Head

  • アーティスト:COLDPLAY
  • 発売日: 2002/08/26
  • メディア: CD
 

では一体どういった点でRadioheadと違うと言えるだろうか。Radioheadの「静寂主義」は、特に『OK Computer』においては、サウンドが冷淡、硬質でありながらも、微妙な社会批判や棘といったものを内にくるめてすぐには感じ取れないようにしている、それは『KID A』になってくるともっと顕著な特徴である。それに対してColdplayの『パラシューツ』における静寂主義は、あくまでサウンド面においてのみだった。いわば、

 

レディオヘッド

OK Computer(総合的なポストロック・アルバム)

KID A(ポストロック自体を進化=深化させ、ロック性=攻撃性を隠微に内側に取り込む)

 

・コールドプレイ 

パラシューツ(形式は静寂主義、メッセージ性は少ない)

静寂の世界(本来のロック要素が前面化、加えて総合的アルバム)

雑なまとめ方ではあるが、こんな対応関係になっていると思われる。レディオヘッドはOK Computerで完成させた総合されたものとしてのポスト・ロックをさらにKID Aで前衛的に先鋭化させるのであるが、一方コールドプレイの方は1stではまだまだ未熟であった彼らの世界観を、より攻撃的なサウンド構成にしたり、名曲「Clocks」や「The Scientist」に代表されるように実に耽美な世界観を創出したりと、総合的なポスト・ロックを作り上げたのである。

 そう、だからコールドプレイが2ndでやりとげたことは、すでに1996年にRadioheadが『OK Computer』においてやったことと同意義だと僕は考えている。それはどちらも完成度が極めて高い、その時点でのポスト・UKロックの定義なのだ。冷たさ、複雑なギターの絡み、神経質な音作り、前面には出ないベースライン、そして何より曲幅の広さ。OK ComputerもA Rush Of Blood to the Headも、本当に総合的(ひたすら攻撃的な曲もあれば、バラード曲もある)作品である。

 

 別に、何年も前にこのアーティストが同じことすでにやってんだから、コールドプレイのやったことに意味はないなんてことを言うつもりは全くない。事実、「Clocks」などはクリス・マーティンが関わらないと作れない唯一無二の曲だと僕は思う。この曲のドラマチックなところは、Radioheadの方向性にはない。この曲はRadioheadとの対比の観点だけで言うと、すでにコールドプレイに独自のものとなっている。

 

それでは、3rdアルバム『X&Y』ではどうなるのだろうか。

 

自由主義

 

X & Y

X & Y

 

 

『A Rush Of Blood to the Head』がより本来の攻撃性=抵抗性を帯びた総合ポストロックのアルバムとして、コールドプレイは自身の方向性を完全に確立した。基本的には『X&Y』も同じような路線にあるとはいえ、もうこのあたりでRadioheadとは大きく目指すところが違ってくるように感じ取れる。Radioheadは5枚目「Amnesiac」でどんどん内省化していった。彼らは静寂主義とメタ・ポストロックなるものの融合をつきつめたのに対し、コールドプレイの方は「Clocks」に見られたようなドラマチックで外に向かって発散=開放するような"自由"さを手に入れた。それを体現するのが「Speed Of Sound」という紛れもない大傑作である。

 個人的には『X&Y』で好きな曲はSquare One、Fix You、X&Y、Speed Of Soundだ。Fix Youの方がいまやファンから愛されているが、これは前作に収録されていた「The Scientist」の系列の曲である。「Speed Of Sound」の、あの芸術的としかいいようのない美しさの方が僕は好きである。

以上をまとめて、各々のアルバムの志向性を「~主義」という言葉で敢えてまとめるとすると、次のようになるだろうか。

 

1st Parachutes→静寂主義

2nd A Rush Of Blood to the Head→抵抗主義、耽美主義

3rd X&Y→自由主義、(耽美)

 

基本的にはすでに1stで完成されていたサウンド上の"静寂主義"に、もっと違う色付けや上塗りをすることで彼らの進化が見えてくる。そして、3rdは過渡期だったに違いない。4th「Viva La Vida」に至るまでの。

 

Coldplayの実存

 

Viva la Vida(Gatefold Wallet edition)

Viva la Vida(Gatefold Wallet edition)

  • アーティスト:Coldplay
  • 発売日: 2008/06/17
  • メディア: CD
 

 

なぜこのアルバムジャケットをフランス革命のイメージに決定したのかは疑問が残ることではある。僕たちの論旨からいけば、3枚目の"自由主義"と何らかの関係性がある。3枚目までは、あくまでもサウンドの志向性の変化があった。Speed Of Soundは耳で聞いて解放感をとりわけ感じる、まるでそれがRadioheadからの呪縛から解き放たれたかのようにだ。しかし、このViva La Vidaは確実に彼らのある「メッセージ」のような強い「信念」を感じる。

 僕が比較として思い出すのは、日本のポストロック・バンドのACIDMANだ。ACIDMANは「造花が笑う」「アレグロ」「赤橙」などの一大ヒットソングをまとめた1stアルバム「創」でデビューし、2ndの「Loop」に至っては攻撃性・破壊性をさらに極めた一転した音楽になり、3rdの「equal」では仏教的境地や環境主義といった大自然思想をモチーフとした歌詞を歌うことになって、いわば「迷走」しかけていたのを、4枚目の『and world』というアルバムが全て総決算した(ぜひこの綿密に作られ構成された『and waorld』は聴いてみてほしい、サブスクになってないのが残念だ)。

 

 コールドプレイの4枚目は、総決算というより、新たな境地であったと思う。僕はこれを初めてCDで聴いたとき(だいぶ昔のことになってしまった)、1曲目の「Life In Technicolor」で思わず涙ぐんでしまった。この曲に歌詞はないのに、メロディのオーケストラだけで泣けるのだ。そして、曲の後半には、これぞ「魂の咆哮」とでも言うべき、彼らの心からの軽やかな唸りを聴くことができる。要するに、このアルバムには「覚悟」を感じるのだ。2曲目でややトーンがダウンしてしまうのが頂けないのだが、3曲目「Lost!」、教会ハープオルガンを効果的に用いたこの傑作は聴く人を感動で震え上がらせる。僕が好きなのは5曲目の「Lovers In Japan」である。日本人でコールドプレイが好きな人は必ずと言っていいほどフェイバリットにあげる作品でもある。

 

 そして、表題作の「Viva La Vida」。これが彼らの簡潔にして、彼らの唯一の主義である「実存に生きる」という重みではなかろうか。続く8曲目「Violet Hill」も、ドラマーのフロアタムの振動が僕たちの胸を強く打つ。コールドプレイの実存主義は、自由と、革命(だが一体何の革命?)と、犠牲に結びついている。

 

 5枚目以降の彼らのポップ化、シンセサイザー化を思うと、4枚目のサウンドは僕の中ではキャリアで一番の出来だと思っている。ほとんど奇跡に近いようなレコーディンである。その中で、生命力を力強く肯定することが、よくアルバムの中でできたなと思う。『Viva La Vida』はコールドプレイの実存主義そのものなのだ。

 

以上、1枚目『Parachutes』から4枚目『Viva La Vida』までの彼らのアルバムごとの志向性を非常に図式的にまとめてみた。5枚目以降のポップ化もいつかはまとめてみたい。静寂主義からロック主義へ、そして自由主義から実存主義へ――アーティストはしばしば4枚目でそれまでの総決算を行うみたいである(rRadioheadは例外)。

 

 

さか島(戯曲)①

 

 さか島(戯曲)

 misty

 

登場人物; 

ヴィクトル(男、30代くらい)

リザヴェータ(女、ヴィクトルと同年代)

ヘモン(老人の姿をした先の神、哲学教師的)

大蛇

堕天使

悪魔

 

・五幕構成(予定)

 

第一幕

 

 荒れ果てた大地。土は灰色がかっていて、枯れ果てた背の低い雑草がポツリポツリと生えているのみ。奥手に火山のようなものが見える。大地の中央には、木製の比較的大きな四角テーブルと、対面に置かれているこれまた木製の二脚の椅子がある。これが《屋根一つない空虚な家》である。一人の女(リザヴェータ)が登場。リザヴェータは薔薇色のひらりとしたロングワンピース(足先まで隠せるような長さの)のようなものを着ている。髪は後ろで一つに束ねられている。リザヴェータはテーブルの上で何やら土をこねっている。左手から男(ヴィクトル)登場。ヴィクトルは黒色の衣服をまとい、少しだけぼさぼさした髪形をしている。両腕が剥き出しになっている(筋肉質)。ヴィクトルは右手に大型のスコップを持ち、荒れ果てた土を掘り始める。

 

ヴィクトル:あぁ! 一日の始まりだ! こうやって土を掘っていくのが俺の毎日。充実を感じる。ヘモン、俺たちがここにすみ着く前から生活している老人、立派な老人だ、ヘモンはこう言っていた。「労働は大切だ、それは心を清らかにしてくれる。」とね。俺たちはそれを第一の信条としている。労働に感謝せよ! それからヘモンは俺に仕事を与えてくれた……もっと言うと、啓示を与えてくれたんだ。俺の仕事は、俺の愛する女、リザヴェータを満足させてやること。しかも、それを二人で共同でやること。俺には俺自身の仕事があり、リザヴェータのやつにはリザヴェータ自身の仕事がある。その二つの仕事が合わさって、俺たちが生きていけるようにすること。それからヘモンの爺さんは、爺さんが何を仕事にしているかを秘密裏に教えてくれた……彼は「哲学教師」だと言う。それについちゃあ俺もちょっと疑っていることがあるがね! しかし、「哲学教師」であるヘモンは、俺たちに説教するだけじゃない! 俺たちがここに住みつくまでは、ヘモンは独りで生きていた(最も、孤独に生きているという点では今もそうだが)。そこで彼は、思索することを止めなかった。「なぜ世界は存在しているのか?」「なぜ世界はこのように在るのか?」「どうして私は独りなのか?」「存在者は元々独りなのか?」このような問いを孤独に提出しては、それらに暫定的な回答を与えていく……その結果を、俺たちにも少し教えてくれるってわけだ! ヘモンの爺さんの説明は分かりやすい。それは決して高みから難しいことを振りかざすのではなく、俺たちの隣に立って、俺たちの《良き隣人》となってあるべき方向に導いてくれるかのようだ……。それから俺たちが何故二人で存在しているのか? 仕事の例で分かるように、俺たちは二人で一つの生活を為している。ヘモンは独りで思索をなしている。待ってくれ! これは俺独自の疑問だぞ……問題構成だぞ。ヘモンと俺たちの仕事はなぜ相違しているのか? これは大いに問うべき事柄だ……。

 

ヴィクトルが快活に喋っている間も、彼は地面を掘り続ける。彼の周りには半径二メールの穴ぼこが出来上がり、次第に底が深くなっていく。掘られた土は盛り上がっていく。スコップで掘り崩し続ける。その作業。左手にあるヴィクトルの作業はライトアップされ、光の当たらないリザヴェータは止まったままでいる。

 

ヴィクトル:ほーら……そろそろ掘り当てるぞ……こんなに掘ってきた……俺は《工事屋》さ! それが俺の仕事! や、出てきた!

 

ヴィクトルの掘り当てた場所から、一筋の水が流れてくる。それはあくまで僅かな水脈だ。ヴィクトルはどこからか取り出した大きくて透明なビンを使って、その泥に塗れた水にあてがう。

 

ヴィクトル:これで水が溜まっていく……今日の分の労働は終いだ! よし、溜まった!(彼は満足げに泥水でいっぱいになったビンをうっとりと眺める。) それじゃあ、リザヴェータのところに帰れるぞ! 今日も充実した! いい労働だ! 労働できることに感謝しなくちゃな。

 

ライトが中央に当たる。土をこねっているリザヴェータがこつこつと動いている。間もなくヴィクトルが泥水の入ったビンと、汚れた手提げ袋を抱えて《空虚な家》に帰ってくる。

 

リザヴェータ:

きれいはきたない、きたないはきれい。私は今の自分に満足している!               よくヴィクトルも言う事。本当にそうだわ。こうして赤土のパンと、少しばかりの水を頂くだけで明日も生きることができる! 今日のヴィクトルの働きぶりはどうだったろう? たくさんの土と水を抱えて帰ってきてくれるかな? 私はヴィクトルが仕事している姿をほんの少ししか知らない。でもきっと真面目に、快活に張り切っているんだろう! 私たちは生きることを楽しんでいるわ、えぇ、きっと。

 

ヴィクトル、登場。

 

リザヴェータ:お帰り、ヴィクトル。

ヴィクトル:あぁ。今日の分はちと採り過ぎといってもいいくらいだな。だが、実によく   働いた。さて、ご飯にしよう。

リザヴェータ:用意はできてますよ。

ヴィクトル:さすがは私の妻だ! 

 

二人とも椅子に座り、何やら取り出したぼろっぽい陶器のようなものを取り出し、そこにリザヴェータがこねていた赤土の塊を載せて、一人分、二人分と作っていく。最後に並々とヴィクトルが採ってきた泥水を注ぐ。

(陶器はテーブルの上、テーブルの下に幾つも転がっている。無秩序な、下卑た扱いを受けている。陶器はどれも赤土などで汚れている。)

 

二人:いただきます!

 

しばらく食事のため沈黙。ヴィクトルが手提げ袋からピカピカに光った大きな黒曜石を取り出す。

 

リザヴェータ:それは、何? ヴィクトル。

ヴィクトル:俺にもよく分からないが、何やら香ばしい味がする。どうにか食べれないものだろうか。

リザヴェータ:こっちにちょうだい。

リザヴェータは黒曜石に思い切りかぶりつき、ガリガリと汚らしい音を立てて咀嚼する。満悦の笑み。ヴィクトルは笑う。

ヴィクトル:うまいのか。どれ、どんなものだろう。(リザヴェータから半分に齧られた黒曜石を貰う) うん、うまい! 歯ごたえがいいな。こんなに美味しいものがあったとは。実はね、今日行った現場では大量に採れたんだ。これからもよくお目にかかるものかもしれん。

リザヴェータ:あなたがいて、私が満たされる。

ヴィクトル:おやまぁ、うれしいことを。

二人、微笑して見つめあう。その後も、バリバリ、ガリガリと奇怪な音を立てながら、二人の夕食の時間は続く。黒幕。

 

場面ではヴィクトルとリザヴェータの声だけになる。夜。

 

ヴィクトル:安らかな眠りが訪れますように……なぁ、リザヴェータ、もう寝たのかい。

リザヴェータ:まさか。その反対よ。私は……私、何かとても不安を感じる。なぜだかは分からないけど……

ヴィクトル:不安、どんな不安だい?

リザヴェータ:今日はとても満ち足りた一日だった、明日もそうなるに決まっている、でもね、それが何故か今急に不安で……

ヴィクトル:明日? 明日何か行動の予定でもあるのかい?

リザヴェータ;いえ、私は何もないわ……ただ、この二人の身に、何かとんでもない事が降りかかってくるのではないかという予感がしたの……

(しばらく考えてから)

ヴィクトル:ふーむ、あぁ、ちょっと寒いなぁ! 暖炉をつけよう。きっと気の迷いだよ。よく眠り、目覚めたら、いつもの通り、至福の一日さ。

リザヴェータ:そう……そうよね、私どうかしてたわ。あなたの云う通りよ。あなたが言うと、不安も虚言になるのね。

ヴィクトル:虚言……だって?

リザヴェータ:あら、言葉遣いを間違えたみたい! 今日ははやく寝ることにします。おやすみなさい、ヴィクイトル。グッド・ナイト。

ヴィクトル:こちらこそだよ、リザヴェータ。グッド・ナイト。

(第一幕終)

マゾヒズム・契約・儀式①

 

■はじめに

  以下はドゥルーズザッヘル=マゾッホ紹介』(河出文庫、堀訳、2018)を部分的に読んでまとめた文章である。「マゾッホの小説的要素」―「法、ユーモア、アイロニー」―「契約から儀式へ」という三節である。

 

 

  この三節におけるドゥルーズの中心的な課題は、「マゾヒズムをいかに適切に定義づけられるか?」という問いである。これに関し、より不十分であるマゾヒズムの印象や定義づけがあることを仄めかしている。

 というのも、ドゥルーズは『マゾッホ紹介』の冒頭近くにおいて、マゾッホ(の文学作品)は忘れ去られているのに、「マゾヒズム」という言葉だけが一般的になってしまったことに大いなる不満を漏らしている。さらにドゥルーズはもう一つの不満を投げかける。それは、サディズムマゾヒズムという相補性(ペア)の思考枠組みでもっぱらそれらが語られてしまうこと、これはサディズムマゾヒズム、ひいてはマルキ・ド・サドザッヘル=マゾッホを理解することにおいても残念なことであるとドゥルーズは述べている。

 サディズムには独自の内容があり、さらにマゾヒズムにも独自の内容がある。それらは「非対称」の関係にあり、「相補性」にあるわけでは決してない。そのことを念頭に入れたうえで、さてマゾヒズムを中心として記述していこう。もちろんサドをめぐる議論も大いに盛り込まれている。

 

ドゥルーズによるマゾヒズムの定義第一段階

 さて、もう一度『マゾッホ紹介』のどの部分(どの節)を対象としたかを銘記しておく。

 ▶マゾッホの小説的要素

 ▶法、ユーモア、アイロニー

 ▶契約から儀式へ

 の3節である。そしてこの3つの節において中心的な課題となっているのは先ほども述べたように、「マゾヒズムはいかにして(適切に)定義づけられうるか?」である。

 ドゥルーズは、はやくもこんなことを言う。「”快―苦”という思考系列ではマゾヒズムを定義づけるのに不十分である」、と。つまり、一般的にはマゾヒストは次のような(誤った)イメージを持たれている。曰く、”苦痛の中に快楽を見出す倒錯者”である、と。しかしこれは何重にも間違っている。そのことをドゥルーズは長きにわたって論証し、これに代わる新しい定義を提唱していく。

 まず、「快楽―苦痛」の思考系列での定義がなぜ不十分なのか? ドゥルーズは、それは見かけだけに過ぎないというようなことを言う。もちろん、マゾヒストは、女主人に痛めつけられる(苦痛)ことによって、二次的な快楽を覚えるには違いないと認める。しかし、それは「真の快楽」ではない、せいぜい表面的な快楽にすぎないとするのである。マゾヒストはもっと高次の快楽を手中にできる者のことだ、と。

 そこで、定義の第一段階として、ドゥルーズは「待機―宙づり」という思考系列を持ち出してくる。こうである。「マゾヒストとは、快楽を待機することによって純粋な宙づり状態に自分の身を置くものである」、と。これも実はまだ精確な定義ではないのだが、まず「待機」や「宙づり」というのがどういうことかを説明しなければならない。マゾヒストは、「苦痛」の中で「待機」することによって、快楽を「先延ばし」にしているのである。そして、重要なのは、苦痛は、快楽の「原因」ではまったくないということである。おそらく、ドゥルーズの考えを噛み砕くに、マゾヒストの苦痛と快楽は二種類あるのだ。そして、ドゥルーズが明らかにしたいのは、より深い苦痛と、真の快楽のペアなのである。「深い苦痛とは何か?」「真の快楽とは?」 これが、後半によって明確に答えられることになるだろう。

 ここで言えることは、「苦痛の中を待機し、真の快楽を先延ばしにするのがマゾヒスト」という第一段階の定義は、半ば意図的に/強引に「快ー苦」という思考系列を混ぜ合わせているために、不純である。快楽、苦痛という概念に頼らず、それから独立した定義をドゥルーズは探し出していくことになる。

 

■《法》の時代区分 (←ここからめちゃめちゃ重要かつオモシロイ)

 

 ドゥルーズはここで、マゾヒズムサディズムに精確な内容を与えるにあたって、《法》論に参入していく。曰く、マゾヒズムマゾッホは「契約」と呼ばれるものにつながっており、サディズムとサドは「制度」とつながっている、とドゥルーズは言い出す。そのあいだにあるのが、《法》である。ここでは契約や制度について述べる前に、先に《法》の本質論について述べておきたい。

 

 《法》とは現実の法律(条約、憲法民法など)や法規範(政令、慣習法、条理、マナーなどなど)などの総体のことである。ここは押さえておかなくてはならない。さて、《法》の形象にはドゥルーズによると大きく2種類あるらしい。それが、

A 古典的な法

B カント以後の法

である。この二つの《法》の形象はことごとく対立している。それをこれからみていこう。

A 古典的な法……ソクラテスプラトンといったギリシャ時代に特徴的な《法》の形象である。このとき《法》は、《法》よりも上位にいるものがある。それが《善》、最高善としての《善》である。どういうことか。《善》とはプラトンの《理念》としてのそれなのだが、それは本論とはさしあたり関係がない。それよりも、上位にある《善》は、《法》の内容を規定するのである。つまり、《善》=正義、平等、友愛などの理念内容が最上位のものとして定まっており、それに従うように《法》は制定されるのである。つまり、《法》の最終根拠(法が機能するための最終担保)はこの(《理念》としての)《善》である。ここではドゥルーズも述べている「ソクラテスの死」が良き例となる。ソクラテスは、社会(司法)が決定した「死刑宣告」をよしとし、自ら死んでいった。ソクラテスは《法》の掟に従順に従ったのである。ソクラテスは、社会のルールに従うことを「承認」した。なぜなら社会の掟に従うことが、《善》いからである。このように、古典時代の《法》は最終根拠として上位にある《善》と連携し、そこから内容を規定されていた。そして、その規定は、市民から承認を得ることによって、実効的に機能していたのである。

 

Bカント以後の法――『実践理性批判

  ところがカントの時代、近代において《法》の境位は一変する。次のドゥルーズの記述を見られたい。

 

 『純粋理性批判』におけるカントのコペルニクス的革命とは、認識の対象が主体の周囲をまわるようにすることであった。だが『実践理性批判』の革命とは、《善》が《法》の周囲をまわるようにすることであり、このことのほうが遥かに重要なのである。おそらくそれは世界における重要な変動を表現していた。

――ドゥルーズザッヘル=マゾッホ紹介』pp.126

 カントの認識論的転回をごくおおざっぱに説明しよう。彼は主体の認識によって客体たる対象の現れが発生し、その現れこそが(人間=主体にとっての)世界であると考えたのだ。その意味で、中心には主体がおり、その周りを客体である対象がちらつくという「構成」に変化させた。そして、カント以降、議論の中心はこの主体の認識や理性の能力に焦点が当てられていくことになったのである。ドゥルーズは実に簡潔な書き方で、《法》と《善》の関係の変容を描く。古典時代では、中心に(最上位に)《善》が位置し、その円環を《法》が位置していた。カントの『実践理性批判』によって、転倒が起こった。《法》が反対に中心に/最上位に置かれるようになり、《善》は最上位の境位を明け渡したのである。

 このことでどんなことが起こるか? 《法》が《善》=正義、平等、愛などの内容を規定するように変わったのである! 法至上主義とも言える。しかし、この場合の《法》は単に形式的なものに留まり、その意味で空虚である。しかし、力(権力)を得た《法》は、議院内閣制がまさに象徴例であるのだが、この授権を得た《法》こそが、正義の中身、平等の中身などを規定していくのである。プラトン的な《理念》としての《善》は近代において消失したのである。

 

■サドと制度

 

思ったより長くなってしまったので、「マゾヒズム・契約・儀式」は二回に分けようと思う。この一回目の記事で最後に話しておきたいのは、サディズムの一つの重要な「性質」である。

 初めに言っておくと、サディズムには《制度》なるものが結びついている。ちなみに、第二回の記事で明らかにされるのは、マゾヒズムには《契約》なるものが結びついているという事なのだが。《制度》とは何か。マルキ・ド・サドは、カント/近代以降の《法》を激しく憎んだ。というのも、《法》が善悪(道徳)を決定づけるからだ。《法》はおそろしい。第二回の記事でも触れることになるが、《法》の効力の名宛人は、その集団内の「全ての」主体に「及びうる」。《法》は一般的なのである(一般効、第三者効とも呼ばれる)。それゆえサドは、「隣人の情動などは、私にとってはどうでもいいことだ。なぜなら、隣人の情動(感情)は私の情動(怒り、憎しみ)などによって抑制されるかもしれないが、《法》がひとたび現れるとき、私の情動も隣人の情動も等しく破壊してしまう(ほど強力だ)」といったような事を述べている。 

 では、《法》を憎むサドがとった戦略とは何か。《制度》を対抗概念として持ち出すことである。《制度》はもちろん法制度のことではない。ある意味、《制度》は《法》よりも強固である。《法》は(改正などによって)可変的な側面を持つが、《制度》はより恒久的である。しかし、サドの《制度》はそのようなものにとどまらない。

 

 「暴君」という存在者を議論の俎上に乗せてみよう。古今東西、特に王政や貴族政において暴君はどの時代にも登場しては、悪政を働いてきた。ところで、暴君はいっけんアナーキー(無秩序)な存在に「みえる」。しかしそれはまやかしである。サドによると、暴君はむしろ《法》と結びついている。暴君は《法》に依存しているのである。実際、暴君は既存の法制度を活用したり改変したりすることによって、その暴君たる真価を発揮する。おそらく、無秩序な為政者として振舞っただけでは、暴君は半分の「権力」もかざせないであろう。暴君は《法》の残酷さに守られることによってはじめて開花する。暴君は、《法》と結託する存在なのである。

 

 これに対し、《制度》とは、純粋な「アナーキー」なのである。《制度》はアナーキー的でしかありえない。それは、旧制度と新制度の「あいだ」でのみ発露するようなシロモノである。しかし、そのような儚い性格だけをサドは考えていたわけではない。《制度》は、古典時代の《法》をひねくる(別の形で復活させる)。《制度》は、その上位に、《悪》たるの《理念》をくれてやるのだ。サド的な《悪》が、この《制度》を奮い立たせる=授権する。これによって《制度》は根拠を持ち、偉大な悪の力を発揮することができるのである。これがサドの戦略の全体像である。

 

 マゾヒズムに対応する法概念は、《契約》である。次回の記事でそれをみていこう。

 

今回のまとめ……

 

・間違ったマゾヒズムの定義→「苦痛の中に快楽を見出す倒錯者」

ドゥルーズマゾヒズム定義(第一段階)

「マゾヒストとは、苦痛の中で待機し、快楽を先延ばしにすることによって純粋な宙づり状態に自身を置く者のことである」

・古典時代の《法》= 上位に《善》がある。《法》は《善》=《理念》によってはじめて内容を与えられる。《善》ありき。

・カント以後の《法》= 上位に《法》がある。 《善》は形式的にすぎない空虚な《法》によってはじめてその内容を与えられる(!)

・サドの制度 《制度》とはアナーキー(無秩序)なもの。そして《制度》の上位に《悪》=《理念》がある。この《悪》が《制度》に内容を与え、無秩序なものにしていく。

・《法》は一般効力(第三者に対しても等しく及ぶ)をもつ

 

 

 

 

 

 

批判哲学と歴史哲学について

 

■はじめに

 以下は、三木清の大学の卒業論文である「批判哲学と歴史哲学」という単行本で80頁ほどの文章を読んで、雑感をまとめたものである。三木清全集第2巻『史的観念論の諸問題』に所収されている。正直難しい論文である。80頁であるがゆえに、凝縮しすぎて、議論がまとまっていない印象も拭えないのが僕の正直な感想である。

 

三木清全集〈第2巻〉史的観念論の諸問題 (1966年)

三木清全集〈第2巻〉史的観念論の諸問題 (1966年)

 

 

 さて、「批判哲学と歴史哲学」というタイトルについてであるが、「批判哲学」とはカントの(批判)哲学を指す。三木はカントの哲学(三大批判書や、『単なる理性の範囲内における宗教』などの著作)を読み解くことによって、カントにおける批判哲学から歴史哲学への結実を描き出そうとしている。カントの認識論、実践論、芸術論がいかに「歴史」の話題に接続するか。三木清のこの論文は、カントの以下の文を読み解くことにほぼすべてを捧げているといって過言ではないだろう。

 

 自然の歴史は善から始まる、神の業なるがゆえに。自由の歴史は悪から始まる、人の業なるが故に。

――カント「人間歴史の憶測的端初」(三木自身による引用)

 

■自由の種類

 人間は自由な存在である。このことを明確にカントは肯定していると僕は思う。そして、三木もそう考えているはずである。しかし、人間が自由な存在であるとしても、歴史はまったく自由ではない。今のところ、《歴史》は「ただそうなってきた過去の積み上げ」のようにしか思えない。つまり、歴史はこの意味において不自由である。だとしたら、歴史と人間は無関係なのであろうか? 

 歴史は時に無情で、それは人間の知性の支配圏の外にあるように思える。それでは、歴史はいったい何によって「基礎付けられ得る」か=根本的に説明することができるか? 

 カントは、超越論(先験論)の立場を繰り返し説いた。ここでは特に「超越論」の意義を明らかにすることはしないが、簡単に言えば「メタ」ということである。カントはたとえば「自由」を説明しようとするとき、「超越論的自由」つまり「メタ・自由」について考えた。つまり、単に「自由とは何か」と問うに留まらず、自由そのものを発生させる・基礎づけるものは何か? という問いへと進化させるのだ。さて、超越論的自由というものがある。

 三木は「超越論的自由の本質は非合理性にある」と述べている。どういうことかというと、超越論的自由、メタ自由なるものは、そもそも人間の知性では測りしえぬものであると言っているのである。それは人間の知性では語りえぬゆえに「非合理性」である。このような非合理的な自由を、三木は《個体の自由》と定義づける。個体とは、概念的な把握である《法則》を超えたところに存在するという意味で、非合理性であるからである。そしてこの《個体の自由》は、《歴史》を基礎付け得るだろうか? と三木は問う。この問いに三木がどう結論を下すかを書くのか? それはあっけない結論であるのだが、ちょっと後に回そう。

 

 先にもう一つの自由の種類について述べておかなければならない。それは《永遠者の自由》と三木が定義づけるものである。どういった自由かというと、それは”実践的自由”のことである。

 

 道徳の完成のために、自由の全き実現のために、不死の要請を樹てねばならぬとカントの云った如く、実践的自由は我々には到底到達の恵まれ得ぬ理想である。それ故に私はこれを永遠者の自由と名付けよう。

――三木清「批判哲学と歴史哲学」

 

 

 ここには、自由‐実践‐道徳という概念の系列が見えるであろう。実践的自由とは、人間の道徳を完成(実現)するために使用される自由のことである。道徳の完成、ひいては自由の完全な実現というのは、およそ不可能なことであるから、それは永遠者=不死者の自由と呼ばれるわけである。

 

■第三の自由

さて、2つの自由を三木はカントの批判哲学から引き出した。《個体の自由》と《永遠者の自由》がそれであるが、この2つはどういう関係にあるのであろうか。三木はこのように述べる。”超越論的(先験的)自由がすべての価値的規定から離れて純粋な非合理性にそれの本質を見出したに反して、実践的自由は理性との全き関係において純粋な合理性にそれの核実を発見する。一は汎価値的概念であるに反して他は価値概念である。”このように、《個体の自由》は合理的であり、《永遠者の自由》は非合理的であるという性格づけがなされる。

  ここまでしばらく《自由》について述べてきたが、実は三木はこのうちのどちらの《自由》も《歴史》を十分には基礎づけえないと論証している。(!) というのは、自由の「実現」のためには、《個体の自由》だけでも《永遠者の自由》だけでも成り立たないからである。そこでは、《個体の自由》と《永遠者の自由》が結合される必要がある。しかし、この「結合」がどうやって為されるのか、三木は文学的な言葉でのみ表現し、「論理的に表現できない」と論証を諦める。しかし、《個体の自由》と《永遠者の自由》の結合体は存在する。それを三木は、《現実的自由》と述べるのである。

 

 ■歴史と神

 さて、カントによると「自由の歴史は悪から始まる、人の業なるが故に」、であった。この命題を、「悪」という概念を捨象し、かつ今までの議論を含めて言い換えると次のようになる。「現実的自由の歴史は人間に結びついている」。人間が、行為主体として、自由を実現させるプロセスこそが、《歴史》なのである。この《現実的自由》という概念こそが《歴史》を基礎づけるものであるのだが、これではまだよく分からない。

 少し視点を変えよう。「自由の実現」はどのように為されるか? おそらく、僕の受けた印象では、自由は「道徳」的に使用された場合にのみ、はじめてその全き実現を獲得することができるのである! この《道徳》という概念の登場は、カントの三大批判の内の第2巻、『実践理性批判』の議論に基づいている(と、三木は解釈しているのだろう)。

 これをもっといいかえると、次のようになる。道徳は、「自由」の「理性的使用」において全き完成をみる。自由は理性的に使用されるべきであるのだ。自分の意志は、自由であるべきだろう(自由意志=原因)。それを、理性の範囲内で用いた場合に、初めて「自由な行為」(=結果)が実現されると僕たちは言えるのである。自由の理性的使用によって、道徳ははじめて完成される。

 そして三木がここにさらに付け加えることがある。それは「自然」の議論である。何度も繰り返すと、カントはこう言っている。

 

 自然の歴史は善から始まる、神の業なるがゆえに。自由の歴史は悪から始まる、人の業なるが故に。

――カント「人間歴史の憶測的端初」(三木自身による引用)

 

   自由の理性的使用は、その対象を《自然》(=非・人工物)とする時にも発揮される。自然は人間の支配下に置かれるが、それは人間が《文化》(の維持や向上)のため、という目的を有するときにのみ正当化されるのである。そのとき、自然の理性的使用が実現する。

 しかし、カントは自然の歴史というものは「神の業」から成ると言っている。これはどういうことだろうか? 歴史は、「自由の歴史」と「自然の歴史」から成るが、そのうち《現実的自由》は、自由が理性的に使用されることによって初めて実現し、すなわち《自由の歴史》となるのであった。しかし、《自然の歴史》は、自然の理性的使用だけでは説明がつかない。自然は人間以前に始まっているからである。ここに、《神》という概念を持ち出す必要がある。

 

■歴史哲学へ

 少し別の方向から見てみよう。(カントの)批判哲学においては、《自由》の理性的使用こそが現実的自由を出来せしめ、よって《完成された道徳》を生み出すのであった。ところで三木はこう述べているのである。

 

 カントの思想として有名であり、そして『実践理性批判』において殊に明確に規定されている「最高善」は、徳と福の完全な一致という意味である。完成された道徳と完成された幸福は異なったものであって、前者は後者を必然的に結果しないから、両者の関係は偶然的、間接的であるにすぎない。ここに神の存在の要請されるべき理由がある。

――三木清「批判哲学と歴史哲学」

 

 自由の理性的使用こそが、道徳を完成させる。ここは、カントの「批判哲学」の領域に対応する。しかし、それだけでは「幸福」を実現することはできない。完成した道徳→完成した幸福 このような図式の中で、→を成り立たせるのは、《神》である。ここに、三木が以下のように言った意味がある。曰く、”歴史哲学の最後の問題は宗教哲学において解決の安定を得るのである”。 三木は宗教哲学についてもしばらく触れている。しかしここで刮目すべきなのは、《最高善》 という概念であろう。おそらく、カント=三木は、ここでは《歴史》は《最高善》という「目的」=方向を有している、と考えている。そして、《歴史》をこのような《最高善》へと向かわせるものこそが、カント=三木が「歴史的理性」と呼ぶものなのである。この《歴史的理性》を批判することこそが、「歴史哲学」の総体であると、彼は結論づけている。

 

■さいごに

 《自由》というものの存在を、カントは肯定している。そのうえで、カントは2種類の自由の議論を持ち出す。それが《個体(死すべき者)の自由》と《永遠者(不死者)の自由》であり、前者は非合理的であり、後者は合理的である。この合理性/非合理性をアウフヘーベンするものが、《現実的自由》という第三の自由の概念であり、この《現実的自由》は説明不可能なものとしてただ「実在」する、とカント=三木は述べている。この《現実的自由》の樹立こそが、《自由の歴史》である。

 《自由の歴史》は人間に対応する。ところで、他に《自然の歴史》というものがある。しかし、私見によれば、この《自然の歴史》は、人間がある程度「支配」している。現に自然の歴史に対して人間が介入しているからである。ところで、《現実的自由》の樹立、言い換えると「自由の実現」化は、一例として自然を「理性的に」使用することにあるのである。《自由》や《自然》を理性的に使用することが、人間の為すべきことである。

 そして、この「理性的な使用」こそは、「道徳を完成」させる。しかしここでは、完成した道徳はただちに《幸福》を実現させない。完成した道徳は、《神》の恩寵や働きによって、はじめて「完成した幸福」を出来させる。そしてこのとき、《最高善》が実在し、《歴史》は《最高善》という方向=目的を獲得するのだ。《歴史》を《最高善》という目的へ向かわせるもの、それが人間の単なる理性を超えた、”歴史的理性”の意味するところなのである。この《歴史的理性》をさらに明らかにすること、それを批判することが、「歴史哲学」なのである。

 

……というのが、今僕ができる精一杯の要約なのであるが、やはり議論が難しいし、三木の頭の中ではカチリカチリと嵌まっているのかもしれないが、論の運びが複雑である。

 しかし、僕のまとめはもっともっと酷い。「自由の(理性的)使用」という用語の使い方は正しくないかもしれない。しかし、そのような表現をしないとうまくまとめられないと思ったので、ここに断っておきます。