ある男の手記2

 

 僕は激情的な音楽にどうしても惹かれてしまう。ベートーヴェンなども勿論大好きだけど、激情的というのは、静と動の振れが極端だということだ。それはどういうことかというと、静が要請される場面において完璧に〈静〉を演出すること、反対に動が要請される場面においてダイナミズムを完成しつくしていることである。激情的な音楽は、二つの様相を同時に有する。それは矛盾を抱えるということである。僕は矛盾というやつがたまらなく好きだ。矛盾によって答えが決定不能に陥るからではない(ある種の相対主義が行き着くニヒリズムの態度のような)。矛盾は二つのことを重ね合わせることなく美しくやってのけることだ。一方を愛し、片一方も汲み尽くす。単純な話だ。1よりも2の方が多いのだから。さらには1+2=3というわけだ。これは欲しがりの性格ゆえかもしれない。それだけでもなさそうだが。

 同時に、矛盾を愛することはこのうえなく難しいことでもある。論理の世界、合理性や常識の世界では、矛盾は忌み嫌われる。まるで前カント的な世界だ、しかしそれはそのまま現代の社会の姿でもある。矛盾を愛すること、双方を行き来する激情的な音楽を愛することは、論理の世界を否定し、あるべき理想の姿を永遠に追い続けることを宿命づけられた悲劇にして喜劇の滑稽な主人公であるのかもしれない。