Coldplayの実存主義――前期論

 

Coldplay実存主義

 

■ものいわさぬ彼ら

 

 Coldplay(以下、コールドプレイと表記するときもある)は2020年になっても現代のUKロックを代表するビッグ・バンドである。

その始まり、デビューアルバム『Parachutes』は2000年にリリースされた。2000年というのは現代社会の時代区分にとっても一つのターニングポイントである。とりわけ音楽では90年代ロック(僕が愛してやまない領域でもあるのだが……)と00年代のロックのシーンの違いを考えるときに参考になる。

 

パラシューツ

パラシューツ

 

 

 

Kid A [国内盤 / 解説・日本語歌詞付] (XLCDJP782)

Kid A [国内盤 / 解説・日本語歌詞付] (XLCDJP782)

 

 

 というのは、2000年には一つの記念碑的アルバム、Radiohead(以下、レディオヘッドと表記するときがある)の『KID A』が発表されたからである。『KID A』は前の作の『OK Computer』と共にポストロックの核心を体現した、非常にインフルエンスの強いアルバムである(Radioheadについてはまた別記事で述べてみたい)。早いが話、その頃多くのバンドに絶大な影響を与えてしまっていたレディオヘッドだが、コールドプレイにもその影を落としていた。OK Computer、KID Aともに、「静寂主義」「都会的冷淡さ」とでも言えるほど、冷たい氷がカチコチ鳴っているかのような印象を受けるクールな音を創造しているのだが、コールドプレイの『パラシューツ』もその要素を受け継いでいる。

 正直、『パラシューツ』は何曲かをのぞけば印象が薄い作品ではある。おそらく、テンポが緩い曲が多すぎる。眠ってしまいそうになるのだ。もちろん「Shiver」「Yellow」といった今でもプレイされている往年の名曲はある。浮遊感のあるギターが耳に心地よいYellowなどのように、ファーストアルバムながらかなり音は完成されており、それが彼らがデビュー作にして圧倒的な支持を得ることになった。

 

 最近、僕はUKから発信されているウルフ・アリスやペール・ウェーブズ、THE 1975、もうちょっと遡ってカサビアンなどを聴いているが、それぞれ微妙にタイプが違うにせよ、彼らのファーストアルバムはみな出来がいい。僕がこの記事において主張したいのは次からである。つまり、可能性に満ちたバンドは素晴らしいファーストアルバムを出す。問題はセカンド以降からなのだ。そして、今あげたウルフ・アリスやTHE 1975などのいずれも、未だにColdplayを超えることは遠いであろうと思う。なぜなら、Coldplayはセカンド以降もずっと化け物のように毎回シフトチェンジしながらアルバムの完成度を高めているからだ。

 今回はそのことの証左として、(A)2枚目『A Rush Of Blood To The Head』、(B)3枚目『X&Y』といった比較的"前期"の作品を簡単に取り上げて、(B)4枚目『Viva La Vida』で彼らの音楽がある意味最高結晶として結実したという僕の見方を述べたい。

 

 

Radioheadの呪縛

 

2002年にリリースされたColdplayの2ndアルバム、『A Rush Of Blood to the Head』はそらもう売れた。売れに売れたのである。コールドプレイは社会的認知度を得た。しかし、結論から言うと、Radioheadの呪縛からは逃れきれない部分があるように思われる。それはこの2ndアルバムが、実に優れたポスト・ロックアルバムだからである。

 

A Rush of Blood to the Head

A Rush of Blood to the Head

  • アーティスト:COLDPLAY
  • 発売日: 2002/08/26
  • メディア: CD
 

では一体どういった点でRadioheadと違うと言えるだろうか。Radioheadの「静寂主義」は、特に『OK Computer』においては、サウンドが冷淡、硬質でありながらも、微妙な社会批判や棘といったものを内にくるめてすぐには感じ取れないようにしている、それは『KID A』になってくるともっと顕著な特徴である。それに対してColdplayの『パラシューツ』における静寂主義は、あくまでサウンド面においてのみだった。いわば、

 

レディオヘッド

OK Computer(総合的なポストロック・アルバム)

KID A(ポストロック自体を進化=深化させ、ロック性=攻撃性を隠微に内側に取り込む)

 

・コールドプレイ 

パラシューツ(形式は静寂主義、メッセージ性は少ない)

静寂の世界(本来のロック要素が前面化、加えて総合的アルバム)

雑なまとめ方ではあるが、こんな対応関係になっていると思われる。レディオヘッドはOK Computerで完成させた総合されたものとしてのポスト・ロックをさらにKID Aで前衛的に先鋭化させるのであるが、一方コールドプレイの方は1stではまだまだ未熟であった彼らの世界観を、より攻撃的なサウンド構成にしたり、名曲「Clocks」や「The Scientist」に代表されるように実に耽美な世界観を創出したりと、総合的なポスト・ロックを作り上げたのである。

 そう、だからコールドプレイが2ndでやりとげたことは、すでに1996年にRadioheadが『OK Computer』においてやったことと同意義だと僕は考えている。それはどちらも完成度が極めて高い、その時点でのポスト・UKロックの定義なのだ。冷たさ、複雑なギターの絡み、神経質な音作り、前面には出ないベースライン、そして何より曲幅の広さ。OK ComputerもA Rush Of Blood to the Headも、本当に総合的(ひたすら攻撃的な曲もあれば、バラード曲もある)作品である。

 

 別に、何年も前にこのアーティストが同じことすでにやってんだから、コールドプレイのやったことに意味はないなんてことを言うつもりは全くない。事実、「Clocks」などはクリス・マーティンが関わらないと作れない唯一無二の曲だと僕は思う。この曲のドラマチックなところは、Radioheadの方向性にはない。この曲はRadioheadとの対比の観点だけで言うと、すでにコールドプレイに独自のものとなっている。

 

それでは、3rdアルバム『X&Y』ではどうなるのだろうか。

 

自由主義

 

X & Y

X & Y

 

 

『A Rush Of Blood to the Head』がより本来の攻撃性=抵抗性を帯びた総合ポストロックのアルバムとして、コールドプレイは自身の方向性を完全に確立した。基本的には『X&Y』も同じような路線にあるとはいえ、もうこのあたりでRadioheadとは大きく目指すところが違ってくるように感じ取れる。Radioheadは5枚目「Amnesiac」でどんどん内省化していった。彼らは静寂主義とメタ・ポストロックなるものの融合をつきつめたのに対し、コールドプレイの方は「Clocks」に見られたようなドラマチックで外に向かって発散=開放するような"自由"さを手に入れた。それを体現するのが「Speed Of Sound」という紛れもない大傑作である。

 個人的には『X&Y』で好きな曲はSquare One、Fix You、X&Y、Speed Of Soundだ。Fix Youの方がいまやファンから愛されているが、これは前作に収録されていた「The Scientist」の系列の曲である。「Speed Of Sound」の、あの芸術的としかいいようのない美しさの方が僕は好きである。

以上をまとめて、各々のアルバムの志向性を「~主義」という言葉で敢えてまとめるとすると、次のようになるだろうか。

 

1st Parachutes→静寂主義

2nd A Rush Of Blood to the Head→抵抗主義、耽美主義

3rd X&Y→自由主義、(耽美)

 

基本的にはすでに1stで完成されていたサウンド上の"静寂主義"に、もっと違う色付けや上塗りをすることで彼らの進化が見えてくる。そして、3rdは過渡期だったに違いない。4th「Viva La Vida」に至るまでの。

 

Coldplayの実存

 

Viva la Vida(Gatefold Wallet edition)

Viva la Vida(Gatefold Wallet edition)

  • アーティスト:Coldplay
  • 発売日: 2008/06/17
  • メディア: CD
 

 

なぜこのアルバムジャケットをフランス革命のイメージに決定したのかは疑問が残ることではある。僕たちの論旨からいけば、3枚目の"自由主義"と何らかの関係性がある。3枚目までは、あくまでもサウンドの志向性の変化があった。Speed Of Soundは耳で聞いて解放感をとりわけ感じる、まるでそれがRadioheadからの呪縛から解き放たれたかのようにだ。しかし、このViva La Vidaは確実に彼らのある「メッセージ」のような強い「信念」を感じる。

 僕が比較として思い出すのは、日本のポストロック・バンドのACIDMANだ。ACIDMANは「造花が笑う」「アレグロ」「赤橙」などの一大ヒットソングをまとめた1stアルバム「創」でデビューし、2ndの「Loop」に至っては攻撃性・破壊性をさらに極めた一転した音楽になり、3rdの「equal」では仏教的境地や環境主義といった大自然思想をモチーフとした歌詞を歌うことになって、いわば「迷走」しかけていたのを、4枚目の『and world』というアルバムが全て総決算した(ぜひこの綿密に作られ構成された『and waorld』は聴いてみてほしい、サブスクになってないのが残念だ)。

 

 コールドプレイの4枚目は、総決算というより、新たな境地であったと思う。僕はこれを初めてCDで聴いたとき(だいぶ昔のことになってしまった)、1曲目の「Life In Technicolor」で思わず涙ぐんでしまった。この曲に歌詞はないのに、メロディのオーケストラだけで泣けるのだ。そして、曲の後半には、これぞ「魂の咆哮」とでも言うべき、彼らの心からの軽やかな唸りを聴くことができる。要するに、このアルバムには「覚悟」を感じるのだ。2曲目でややトーンがダウンしてしまうのが頂けないのだが、3曲目「Lost!」、教会ハープオルガンを効果的に用いたこの傑作は聴く人を感動で震え上がらせる。僕が好きなのは5曲目の「Lovers In Japan」である。日本人でコールドプレイが好きな人は必ずと言っていいほどフェイバリットにあげる作品でもある。

 

 そして、表題作の「Viva La Vida」。これが彼らの簡潔にして、彼らの唯一の主義である「実存に生きる」という重みではなかろうか。続く8曲目「Violet Hill」も、ドラマーのフロアタムの振動が僕たちの胸を強く打つ。コールドプレイの実存主義は、自由と、革命(だが一体何の革命?)と、犠牲に結びついている。

 

 5枚目以降の彼らのポップ化、シンセサイザー化を思うと、4枚目のサウンドは僕の中ではキャリアで一番の出来だと思っている。ほとんど奇跡に近いようなレコーディンである。その中で、生命力を力強く肯定することが、よくアルバムの中でできたなと思う。『Viva La Vida』はコールドプレイの実存主義そのものなのだ。

 

以上、1枚目『Parachutes』から4枚目『Viva La Vida』までの彼らのアルバムごとの志向性を非常に図式的にまとめてみた。5枚目以降のポップ化もいつかはまとめてみたい。静寂主義からロック主義へ、そして自由主義から実存主義へ――アーティストはしばしば4枚目でそれまでの総決算を行うみたいである(rRadioheadは例外)。