夢の中で死んだ鳥は現実(完結)

以前ストップしていた「夢の中で死んだ鳥は現実」という小説をいちおう最後まで書き上げました。6000字、原稿用紙だと15枚ですね。 

どこからが続きか分からないので、改めて全文載せます。書いたばかりなので表記や誤植があると思います。

 

 

夢の中で死んだ鳥は現実——あるひとつの神話

misty

 

 バードが死んだ。彼女の夢の中で死んだバードはいかにも薔薇色に染められた概念としての現実だったのだ。彼女はバードを思い浮かべた。そこには宗教の鳥があった。彼女と私は宗教の鳥に魅せられていた。そこがはじまりの地点だった。

 バードは夢の中でいくつもの鋭利な棘をもつ弾丸に撃ち抜かれて死んだ。そのとき世界中に咲き誇る鳥たちの頭がいくつも飛び散って血の塊となり空へと大地へと降っていった。血の雨。人々は「悪魔だ! 悪魔の火だ!」とたいそう恐れ、各々自分たちの家に逃げ帰っていった。しかしそれは祝福の開始でもあったのである。なぜなら今後地球の主人となるのは人間ではなく、鳥たちであるのだから。彼女は鳥であることを夢想した。「鳥に―なること……生成変化。私が鳥だったら、どんなに素敵なことかしら」

 はじまりは、そんなものだったのだ。

 

 バードは、正確には一匹ではなく、六匹いた。スズメ、ツバメ、フクロウ、カラス、シジュウカラカササギの組だった。カラスは狡猾だが実に怜悧で頭脳明晰だった。フクロウは知恵に長け、勇敢で、意志の力の強さを持っていた。スズメは臆病で、震えることがあり、他のメンバーにもあまり自分の意見を言えない小ささをもっていた。バードたちは美しい森の中を飛んでいた。そこには様々な色、青、紅、黄色、橙、水色といった薔薇の花で彩られた湖があった。森の木々はきほんてきに広葉樹で、明るく、光の差す力を全力で受け止め、生命たちに純粋なるエネルギーを与える場所となっていた。森は一つの方向で笑っていたのだ。だからバードたちも自由に飛翔しながら微笑することができた。生命のリズム。風、木々のざわめき。薔薇の歓待にバードたちは嬉々とした。湖面ではオオサンショウオであるところの湖の〈主〉ルシフェルが御礼とばかりに魚たちの舞を披露し、魚たちは湖の上を軽やかに跳ねて水中と天空の障害をいとも簡単にキャンセルしてのけた。跳べる魚——飛翔する魚! ここでバードたちの御一行に鮮やかなトビウオが加わった。

 ところで、バードたちは概念から羽化した理想的な存在だったため、実在する魚や木の実を捕食して生存を維持する必要はなかった——では彼らは何かを必要としたか? もちろん概念としてのバードたちにも何か存在の維持のために必要な要素が皆無というわけではなかった……概念は、〈美しき調べ〉を実際には必要としていた。〈美しき調べ〉とは、音楽のことである。それは高らかな歌、大胆不敵で輝いた歌、肯定の歌、何かを賛美し美しきものへと回帰する歌であった。それらは概念上そのたびごとに新しく作り直される必要があった。バードたちは自由に飛翔する中で、世界からそうした〈新しい歌〉が歌われているのを見つけ、その養分をたっぷり吸うことが必要とされていた。新たなる〈美しきしらべ〉を探索することもかねてバードたちは飛んでいたのだった。そして今回の森にたどり着いたわけだ。

 

 しかし幸福な死の訪れは静かに忍び寄ってきた。エデンの園と呼ばれたその場所で……愚かな行為を常にし続けるものが、さらに不幸な運命を背負ってしまった。その愚かな地球上の存在は、犯してはならぬ禁忌をうちやぶってしまった。その愚かなる地球上の存在は、もちろん人間の出発点である。この物語を語る上では便宜上〈愚かなるもの〉と表記しておこう。愚かなるものたちは森の生き物にそそのかれ、いとも簡単に「捕食」をしてしまったのだ。甘きをしってしまった愚かなるものは、苦しきをこれから味わわねばならなかった。それどころか、彼らはその愚かさの末に世界をやがて破壊してしまうという凶暴な性格をも付与されてしまったのである。凶暴さの棍棒と迎撃としてのピストルを手にしてしまった愚かなる者は、やがて吸い寄せられるようにもう一つの森——すなわち樹海の糸を手繰り寄せて盲目な暗夜行路をはじめたのである。彼らは視力を奪われ、目の前の景色も分からずにひたすら恐怖のなかで彷徨 errance をはじめたのだった。目の前の景色が分からない。それゆえ彼らは棍棒を振り回した。ピストルを空打ちした。そうして森に住む者たちをどんどん威嚇し、同じ恐怖と混乱の渦の中に陥れ、自らもどんどん臆病になっていくなかでその存在の残酷さぶりを発揮していたのである。

 スズメはその空打ちの音を遠くから聞きつけたような気がした……同じく本質から〈臆病〉を患っていたスズメは、そのあまりの不審なるピストルの響きにほとんど驚愕しそうになった。これは世の通常の音ではない——もちろん〈美しきしらべ〉とはかけ離れている! それくらいピストルの音は世界を激震させるものだったのだ。バードたちからまだ遠く離れている〈愚かなるもの〉たちは、もちろん実弾をも手にしていた。かれらは恐怖が狂気に反転するころ、やがてその実弾を装填するであろう。実弾を打ち込むであろう。そのとき最初に世界にひびが入り、「現実の(概念としての)」バードたちはやがて殺されるであろう、最初の人間に。愚かすぎるものたちに。禁断の果実を手にした者たちによって。

 

 ところでバードたちはどうして世界の原初を、肉体を持たぬ概念としてのバードとして探索しているのか? 錘の肉体を持つにはまだはやいし、それに神は決めかねていた。そう、もちろんアダムとイヴ——〈愚かなるもの〉たちも神話体としてのそれであるし、彼らも彼らで透き通る輝いた身体を持っていたのである。透明な身体。それが、アダムとイヴが禁断の果実を食す前に有していた充実身体のことであった。しかし、彼らは蛇に危うくも唆されて不実の実を食べてしまったため、昏き紅い血の迸った実に下らぬ「肉体」というものを

もったのである。つまり、アダムとイヴはそれ以降己の肉欲にしたがい、子孫を残さないと世界の主人にはなれない条件が課された。アダムとイヴはそもそも完全体だったのか? 蛇に唆されるという危険性をいとも簡単に犯してしまったのに? 神は選抜を決めかねていた。そこで人間には神秘的な透き通った身体を、そしてバードたちには概念化をほどこおして、世界の歴史の主人公として何が相応しいのかを神は悩んでおられた。神は最初から悩める虚しい存在だったのである。話を戻そう。バードたちは肉体を持たぬ概念化した存在として、人間たちとはまったく異なる、〈自由〉の象徴を任されていた。その一つは飛翔する羽である。もちろん人間は羽を持つことができない。一応、人間は大地の主人公(農耕)であると言える。鳥は空の主人公だ。人間は天空の存在をその〈愚かさ〉のゆえに知らない。もちろん、バードたちは地球外をも自由に飛翔することができた。そしてバードたちは神から遣わされ、われらの地球に降り立ち、そこで〈美しきしらべ〉は、革命の兆しは、そう革命とはとりもなおさず〈新しき創造性のまったき生活〉のことであるのだから、革命の兆しの讃美歌を掬っていた。バードたちは革命者として遣わされたのである。自由と革命。自由による革命。革命のためには、完璧なる讃美歌と、一つの大胆な意志と、そして宗教理論の体系が必要であった。彼らはそこに、幾つかの布石――やがてそれらは、ヨーロッパの諸宗教の原石、中国の宗教、イスラムの諸宗教、インドの諸宗教、ゾロアスター教、そして様々な民族誕生の神話と理論、それらすべてはもともと唯一つの〈原宗教〉であった。鳥たちの宗教、鳥の宗教とはまさにこの〈原宗教〉、すなわち文字に具現された教典や言説などは持たぬ、概念の神秘としての原宗教であった。バードたちは森の薔薇に彩られた湖に集って、この原宗教の体系化を話し合っていたのである。そこに、「概念をも打ち壊す破壊の化身」としてのピストルがやってきた。

 それは遠くから確実なる音声とともにやってきた。悪臭のする人間たちの匂い。人間は原初の姿を自ら忘却し、《偉大なる技術》を手にしそれのみならず禁断の果実であるリンゴの実を食したあげく、《大いなる知》を《偉大なる技術》と快楽に任せて結びつけた。《知》と《技術》の融合はすなわち《暴力》の誕生であったことも予見すらできなかった彼らの浅はかさよ! 作成されたのは夥しい数ののピストルとサーベル刀、それはバードたちの胸を撃ち彼らのか細い首を確実に落とすための道具であった。はじめから、バードたちに勝ち目はなかったというべきだろう、彼らは《理想》の身体としての存在から《逃亡せる弱き天使たち》へと下降と頽落を余儀なくされたのであった。バードたちはピストルが高らかに上方に向かって鳴らされるのを聴いた——間もなく、人間の支配下にある黒馬やユニコーンが蹄をたてて猛々しく駆け上がってくる状況を察知した。我らは殺されるのだ。《美しき調べ》の甘美な味わいを纏う至福の時はこうして急速に終わりを告げた。逃げなければ! 逃げなければ! 空中を飛翔するトビウオとともに、選ばれし鳥たちであるスズメとツバメ、フクロウ、カラス、シジュウカラカササギの七匹は皆一つに狭く固まった。フクロウが言う、

 「私を先頭としてこちらに来たれ」

バードたちのエデンであった泉のほとりを哀しい気持ちでひとしきり眺めたあと、バードたちは一斉に飛んでいった。後方から確実な《音声》をたてて追いかけてくる、憎むべき人間ども。森の中を、走れ! 走れ! バードたちは今や樹海と化した大いなる森の中をその小さい身を紛らわすためにジグザグに飛行していった。しかし、ユニコーンは強大だった。彼らはいとも容易く岩の瓦礫を破砕し、複雑に絡まった樹木の蔦をたやすくくぐり抜け、颯爽と追走を実行していった。はじめに息を切らしたのはスズメだった。

 「私が最初の犠牲者となる……。残されし者で世界を救うのだ」

そうしてスズメは速度を急激に落とし、やがて樹海の昏き地面に力尽きるようにポトリと着陸した。やがて……一頭の人間を載せたユニコーンがやって来た。ユニコーン支配下においた人間は真っ黒な仮面を被り、しかしその仮面からは血ばしった大きな二つの眼が概念の化体としてのスズメを容赦なくとらえていた。

 最初の犠牲者よ!

人間の合図でユニコーンはスズメの眼前に立った。スズメは無抵抗を貫いた。そして最初の犠牲者は、ユニコーンの大いなる蹄の下に敷かれ、その内臓が鮮烈に破裂した。死んでいるかも分からないスズメの頭部のみを人間は持っていたサーベル刀で切り裂き、あとに残ったのは幾つかの内臓と散り散りにされた身体の残骸だけとなった。

 トビウオは涙を流した。トビウオのみならず全ての遺されたバードたちは怒りと苦しみの涙を流した。その涙は大きな塊となり、やがて空から降る一滴の雨となった。一滴の雨は地面に落ちた。そしてその地面は、真っ赤に染まったのである。血の色だ。何が起こったというのだろうか。赫き地面に生えている草花はやがて惜しげもなく枯れ果て、そのうちに大いなる空では怖ろしい暗雲がたちこめ、すぐさま雷鳴が轟いた。世界は不安と怒りの支配によってたちまち閉じ込められ、幾人かの人間はその赫き地面の禍によって足をとられて倒れていった。

 現実界というものがある。樹海を遠く離れた、惨めな貧民とただれた富裕層どもが跋扈する現実の大地だ。この大地にも暗雲が間もなく垂れ込めた。そうして、水滴が一粒落ちた。それはバードたちの哀しみの色を宿したあの《赫い涙》であった。《赫い涙》はそのようにして理不尽にも大量に作成され、広き大地に降り注ぎ、その禍々しき水滴に触れた者は毒に侵されたように体を震わせ、地べたにへたりこんだ。貧民たちを奴隷扱いして彼らに効率よく小麦を運ばせていた一人の官僚が——自らは頑丈な屋根の下の御所で指示と監視をのさばっているだけだった——、地べたに転がり込む貧民を見て怒鳴った。何をしている! 馬鹿者が! その卑屈な官僚が彼の下に駆け寄ると、間もなく《赫い涙》の水滴——雨——の作用によって彼もまた毒され、無限の痛みに侵されながら、身体を隈なく破壊されていったのである。

 それだけではない——《赫い涙》は、バードたちの怒りと憎しみも運んだ。人間よ、愚かで残酷な人間よ。毒された現実の人間たちは、みみっちい頭の中でバードたちの呪詛を聞いてしまった。それを聞いてしまうと、彼らはとりもなおさず気狂いになってしまった。そうして《赫い涙》は降り続け、その水滴を浴びた者は一人のこさず全員が毒に侵され、さらに気狂いとなっていった。鳥たちの呪い。代償。人間はここに至ってようやく自分たちの愚かさを知った。しかし、もうユニコーンに乗った使者たちはすでに概念として理想化され、鳥たちをしとめるのを止められなかった。血に、血が降り注いだ。バードたちは一匹一匹と、ピストルで撃たれ、サーベルで首を切られ、その高貴なる命を静かに落としていった。そのたびに《赫い涙》は世界に降り注ぎ、狂った者は増え続け、やがて現実界は地獄と化した。あとに残ったのは阿鼻叫喚の図式のみだった。

バードは神になれなかった、それは人間も同じだった。

 

——「そう、これで話はおしまい。世界をめぐる人間の鳥との神話の戦い。鳥は負けた。悲しいくらいに負けた。使命を受けた七匹のバードたちは、その儚き命を絶っていった。かくして鳥は理想的身体としての地位を失い、やがて地球上の数多ある生き物の一つにすぎなくなった。人間もそう。だけど、人間は気狂いの可能性を秘めたまま、ただひとつ神話の森の中でピストルを、《他者の存在を抹殺する》武器を、技術を、そして中には《大いなる知》を、失わなかった。その代わりに世界からは《美しき調べ》を聴きとれる者もいなくなった。世界は中和され、神話の領域を失い、つまらないものとなった。

 

 ……だけどこの話はこれでおしまいじゃない。たった一つのバードが生き残っていたの。それはミネルヴァのフクロウよ。彼だけは何とか悪の手から逃げおおせ、そして概念としての理想の身体を内に宿したまま、やがて私たちの視界からもはるか遠くに飛び立っていった。ミネルヴァのフクロウは今でも実在するというわ。証拠? そうねぇ、貴方は世界がどうやって終わると思う? そのたびごとに世界が終わるという意味では、夜が訪れるのがたとえばそうね。夜は太陽が没することによって開始する。それは確かよ。でもね……この世界には、たった一つの、特別な存在がいるの。それがミネルヴァのフクロウ。彼は、どこかでまだ残存している世界の《美しき調べ》を聞き取り、黄昏の中でそれを求めて飛び立っていくの。《美しき調べ》はあの《ノクターン》、つまり夜想曲だけになってしまった。それでも人は、夜の世界を愛することができる、そう、私たちのように。世界は高貴なバードたちを失ったけど、その代わりに、妖しく、昏くて、みだらな夜の鳥を手に入れたの。これがこの話のオチよ。希望はあるの。いつでも、希望が微かに残されているならば。

 さぁ、私たちはそろそろ朝食を採りましょう、夜の終わりを告げるスズメたちの愛らしいリトルネロを聴きながらね。

(了)