新現代思想入門(1)——2000年代の西洋思想

 「現代思想」。その言葉は、基本的には1950~1999年あたりのフランス現代思想を中心的には指す。構造主義の「4人組」、レヴィ=ストロースラカンフーコーロラン・バルトポスト構造主義の三人組、デリダドゥルーズ・(フーコー)、現象学のミシェル・アンリやマルクス主義者のアルチュセールジラールメルロ=ポンティミシェル・セールポール・リクール、そしてドイツのフランクフルト学派アドルノや、ハーバーマス…… 様々な哲学者が、それぞれ夥しいほどの著作と議論を提出していた。20世紀は哲学的にも豊饒な時代であったと言える。それは、二度の世界大戦や、冷戦、民族紛争、南北問題など、常に激動の時代であったからでもあろう。時代が危機的なとき、哲学や文学は応答する。フロイトが第一次世界戦を生き抜いてそれのあまりの残酷さと低劣さに衝撃を受け、自身の精神分析学にさらなる更新を加えたことは有名な話だ。

 

さて、フランス国内では、サルトル実存主義構造主義ポスト構造主義という流れがあった。それ以降の流れをこのブログで紹介していこうと思う。

 その前に、著名なソーカル事件というのもあって、ポスト構造主義ドゥルーズデリダフーコーの華々しい三人以降、息を潜めてしまったということを押さえておかなくてはならない。

 

(1)スラヴォイ・ジジェク

 

 ジジェクスロヴェニアの哲学者である。彼は旧ユーゴスラビアに出自をもつ。周知のように、ユーゴスラビアは解体して幾つもの国と民族意識に分かれていった。そういう時代の「危機」の中で生まれたのが彼だと言っても間違いはないであろう。

 ジジェクの名前が日本で紹介されるようになったのは、日本の哲学者である浅田彰柄谷行人が主宰する『批評空間』を通してだった。『批評空間』はジジェクの著作や新しい論文の翻訳を積極的に掲載し、ポスト構造主義以降の哲学者の紹介に一役を買った。

 ジジェクの哲学は、基本的には①ジャック・ラカン精神分析を映画論や社会論や政治と言った風に縦横無尽に適用してみせること、そして②ドイツ観念論(特にヘーゲル)のあのこまごまとした議論を得意としていること、③その難解な文体、そして④アラン・バディウランシエールといった今もなお現存する現代哲学者たちへの応答を欠かさない、といったところだ。 

 ジジェクの代表的作品に、『否定的なものの下への滞留』、『大義を忘れるな』、『イデオロギーの崇高な対象』、『パララックス・ヴュー』などがある。また、比較的分かりやすいものとして、『ラカンはこう読め! How to read Lacan』や、ちくま新書などの新書形式でも翻訳がある。

 

 

イデオロギーの崇高な対象 (河出文庫)

イデオロギーの崇高な対象 (河出文庫)

 

 

 

パララックス・ヴュー

パララックス・ヴュー

 

 

 

ラカンはこう読め!

ラカンはこう読め!

 

 

(2)ジュディス・バトラー

 

バトラーはアメリカの哲学者である。彼女自身はフェミニズム理論家としても知られる。というのも、フェミニズムが隆盛を見せていた頃、彼女の『ジェンダー・トラブル』が発表され、「セックス(性差)とジェンダーがあるのではなく、セックスとはジェンダーなのだ」という衝撃的な文言をひっさげて華々しく登場したのが彼女であった。ちなみに彼女自身は自分がレズビアンであることを公言している。ここで注記しておきたいことは、バトラーの博士論文はヘーゲル論であったということだ。ヘーゲルといえば先ほど書いておいたように、ジジェクの得意とするドイツ観念論の完成者はヘーゲルなのである。ジジェクラカンと同じくらいヘーゲルの哲学も自身の独特の解釈と適用を通じて論じる。事実、この二人、ジジェクとバトラーが同じ問題意識のもとで議論を白熱させている共著が翻訳でも出ている(現在Amazonでは中古価格が沸騰していた)。 バトラーとジジェクの共通点がヘーゲルであるということは特筆しておくべきだろう。なお、バトラーの博士論文は2019年ついに邦訳が出るという話を聞いたのだが本当なのだろうか(笑)

 

 

ジェンダー・トラブル』などで男女の異性愛の構造的優位性を厳しく批判するなどの仕事をやった後に、彼女はより理論的な仕事に移るようになる。それが『権力の心的な生——主体化=服従化に関する諸理論』や『自分自身を説明すること』などの中期著作である。僕は特に個人的に『自分自身を説明すること——倫理的暴力の批判』という書物を推しておきたい。これはバトラーによるアイデンティティ論である。つまり、人間の主体というものが、実に暴力的なやり方で定立されるものだという事を、それなりに分かりやすく、アルチュセールフーコーなどの理論を援用しながら見事に描いている著作だ。

 

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)

 

 なお、最近では憲法上の「集会の自由(権利)」を現代政治において極めて重要な哲学的概念へと思考していく『アセンブリ』という著作が2018年出ている。

 

アセンブリ ―行為遂行性・複数性・政治―

アセンブリ ―行為遂行性・複数性・政治―

 

 

(3)ジョルジョ・アガンベン

 

イタリアの哲学者である。アガンベンの特徴は多岐に渡るがこの人はとりわけ独特である。専門とする「文献学」や考古学の大量な知識を有し、古代ギリシャの政治社会から20世紀のホロコースト現象まで、物事を通常人にはぜったいに真似できないように切断し、独自の解釈を加えていく。

 アガンベンの邦訳は夥しいほどあるが、その中でも代表的著作として激推ししたいのが『ホモ・サケル』である。

 

ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生

 

  アガンベンはこの『ホモ・サケル——主権権力と剥き出しの生』という著作で一躍有名になった。ホモ・サケルというのは、古代ギリシャの、神聖(神聖ということは、ふつうは神聖とされる天使やローマ教皇は簡単に死んではならないはずなのに)にして社会から疎外され死に追い込まれることになる実在する人間たちの事であるらしい。そこにおいてホモ・サケル(神聖なヒト)は、社会と生死という二つの領域から締め出されることによって、まるで幽霊のように宙づりにされてしまうのである。じゃあ、このギリシャの話がどう面白いと言うのか。アガンベンホモ・サケルの系譜を現代までたどってみせ、グアンタナモ収容所に閉じ込められた異邦人たちの生の状態をまさに現代型ホモ・サケルだと診断しているのである。このような巨視的な視点がアガンベンにはあるのだ。

 このアガンベンを積極的に翻訳し入門書も幾つも書いているのは岡田温司さんだ。アガンベンの著作を読みながら、適時岡田さんの書いた本を参照書として併せて読むのも面白い。

 なおアガンベンは自身の大半の仕事を「ホモ・サケルプロジェクト」と呼び、ホモ・サケル的な人間や現象の解明と余波を、あらゆる歴史において考古学的に探求している。その中でもオススメは以下の二つである。

 

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

 

 

 

例外状態

例外状態

 

 『アウシュビッツの残りもの』はタイトルから分かる通りホロコースト論である。プリーモ・レーヴィらの声を聞きながら、アガンベンは独自のメスを切り入れていく。

「例外状態」はホモ・サケルシリーズの中でも極めて重要な著作であると思われる。しかもこの本、短い。短いけど重要である。是非、買ってみてください面白いです。

 

(4)その他の哲学者

 

1990~2000年代を通じてこの日本に翻訳という形で積極的に紹介された現代哲学者だと、あとはスピヴァクとかが居る。スピヴァクの『ポストコロニアル理性批判』はめちゃくちゃ面白い本だ。ただしAmazonだと中古価格が沸騰していた記憶があるので、読むときは大学図書館や、それか書店で見つけるのが吉かもしれない。

 

ポストコロニアル理性批判―消え去りゆく現在の歴史のために

ポストコロニアル理性批判―消え去りゆく現在の歴史のために

 

 スピヴァクは確かインドに出自を持っていたはずだ。幼少のころからインドで生まれ、そして学者として活動をすることにはアメリカに渡って著作を英語で発表し続けた。上にあげたジジェク、バトラー、アガンベンと比べると寡作な哲学者だが、その重要性は大きい。

 

それでは、次の記事ではいよいよ2010年代に普及した新しい現代思想の流れを紹介したいと思う。

misty